街の歴史

  • 都電荒川線 縄文・弥生の原始時代には、荒川区の地域は大部分が東京湾で、日暮里の台地だけが岬となっていました。この台地からは道灌山遺跡や日暮里延命院貝塚も発見され、当時集落があったことが確認されています。
  • その後、陸海の交通拠点、戦略上の要衝地として栄えてきました。特に、江戸時代には、水戸道中と奥州・日光道中の分岐点としてにぎわいをみせました。そのため、区内には祖先が残した文化財や史跡がたくさん残っています。また、近郊農村地帯として注目を集め、汐入大根・荒木田大根・三河島菜(漬け菜)などが有名でした。
  •  明治時代になると荒川の水を使うために大工場が相次いで設立され、工業地帯が形成されていきました。1913年(大正2年)には王電(のちの都電)三ノ輪〜飛鳥山下(現在の栄町)が開通し、宅地化が進みました。1932年(昭和7年)10月1日、東京市域拡張に伴い、北豊島郡南千住町・三河島町・尾久町・日暮里町の4つの町が合併し、東京市荒川区が発足しました。ちなみに、区の北東部を流れる隅田川は、1964年(昭和39年)までは荒川と呼ばれており、これが区名にも採用されました。
  •  近年では陸路の発展が目覚しい。まず、日暮里駅周辺で市街地再開発事業が進められ、平成19年度中には日暮里舎人線が開通します。また、平成22年度には、「成田新高速鉄道」の開業する予定です。これにより、日暮里駅は新東京国際空港と36分で直結しることとなります。
  • (参照: 荒川区ホームページ